東北大学
学際科学フロンティア研究所

FRIS Interviews #01

FRIS Interviews#01前編

  • 鈴木 真介Shinsuke Suzuki

    神経経済学Neuroeconomics

  • 大学 保一Yasukazu Daigaku

    分子遺伝学・ゲノム情報科学DNA replication, Mutagenesis

  • 吉野 大輔Daisuke Yoshino

    メカノバイオロジー・設計工学Mechanobiology,
    Design Engineering

学際科学フロンティア研究所は「学際的研究の開拓・推進によって新たな価値を創出し、人類社会に貢献すること」を目的としています。そのコンセプトを所属研究者によって語り、考える企画が本連載『ボーダーを越えて』です。

それぞれの研究人生に触れながら、「自分が体験した学際的な活動を語っていただきます。学際フロンティア研究所(以下、学際研)の理念と実態を浮き彫りにすると同時に、学際研のメンバーが対話を通じてこれからの組織のあり方を考える場です。

なぜ“研究者”を選んだのか

大学 保一(以下、大学)
高校時代、研究者に対する憧れがありました。私はDNAが複製される際の遺伝の仕組みについて研究しています。塩基の配列が一個違うと生き物の性質がすごく変化してしまうことに驚いた記憶がありますね。本屋さんにある専門書に触れつつ、漠然としてですがこの分野に対する憧れを持っていて、理学部に入ったのを覚えています。
大学 保一Daigaku Yasukazu

学際科学フロンティア研究所 助教。
東北大学理学部卒業、東北大学生命科学研究科修了、Cancer Research UK London Research Institute研究員、英国サセックス大学Genome Damage and Stability Centre 研究員、日本学術振興会海外特別研究員を経て、2015年より現職。専門は分子遺伝学・ゲノム情報科学。突然変異が起きる仕組みを探るために、DNA複製、DNA修復といったDNAの回りで起きる現象を対象として研究を行っている。

吉野 大輔(以下、吉野)
僕はあまり研究者になるということは大学に入った頃は意識していませんでした。工学部だったので周りの学生たちは皆、企業に就職するんです。僕も就職活動を修士と博士の頃にしましたし、大学の研究者になることをあまり意識したことはありませんでした。でも何か大きな仕事と言いますか、「こいつがこういうことをやっていたんだ」というのが残ると自分が死んでも何か残せるということに惹かれるところはありましたね。
大学
それは共感できるところがありますね。論文などは文書化されて残るから。
吉野
人生で何か残せるとすれば、自分にとっては研究者以外に実現できると思えなかったので、それが研究者になったきっかけでしょうか。
鈴木 真介(以下、鈴木)
僕も吉野さんに近くて、工学部の情報系に入って、皆が行くので修士まで行きました。修士の頃に就職活動をして、企業のことがおぼろげながらわかって、企業に行くのと大学で研究するのとどっちが楽しいかと考えた時に「研究の方が楽しいな」と思い、博士課程に進みました。数学に近い分野だったので、博士に行くなら研究者になるということだと思っていました。
大学
なぜその分野を選んだのですか?
鈴木
僕は兵庫県の南東部の西宮というところの出身で、大学に進学を考えた1998年頃、阪神大震災からの復興で理系が盛り上がっていました。初めは地震予知に興味があったのですが、オープンキャンパスに行ったら「地震予知はしばらく難しいよ」と言われまして。
吉野
僕は最初天文学がやりたかったんですよ。星を眺めるのって楽しいと思って。それで当時できたばかりのAO入試を受験したのですが、落ちてしまって。「落とされたということは芽がなかったのかと思い、宇宙に関係があるからロケットがやりたいと思って、機械系を受験しました。ただ、全然関係ない学部も受けました。法学部とか、獣医学部とか。「受かったところが僕の進む道なんだろうな」と思って。
大学
ある意味うまく自分にセレクションをかけたのですね。
吉野 大輔Yoshino Daisuke

学際科学フロンティア研究所 助教。
東北大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。東北大学大学院医工学研究科博士研究員、東北大学流体科学研究所助教、シンガポール国立大学メカノバイオロジー研究所客員研究員などを経て、2017年から現職。専門はメカノバイオロジー、設計工学。とくに最近は、力学刺激に対する生体反応を応用した理学療法の検証や循環器医療デバイスの開発に取り組んでいる。

能動的か受動的か?

大学
私は「学際研究」するのは目的ではなく、自らが解明したことへのアプローチなんだと思います。私の場合は、「遺伝情報の突然変異、いわば、「DNAの配列が変化する仕組み」を明らかにするために、突き詰めていく方法論としてどうしても必要になってくる、というのが現状だと思います。ゲノムDNAは情報量が非常に大きいので、今までの分子生物学者が行ってきた実験的アプローチでその全体を理解するにはなかなか限界がある。だからある意味、情報科学的なアプローチは必要不可欠だったんですね。能動的か受動的かでいうと、自然発生的に学際的なことを始めていたような気がします。例えば、生物の顕微鏡観察だって光学や機械の世界をわかって初めて意味をなすという点では「学際的」です。今はもう顕微鏡観察も生物学の一部になっていますが、「学際性」というものは、いつの時代でも学問の体系としてあるのだ、という認識でいますね。
吉野
僕の場合も気づいたらやっていた、という認識です。最初に所属した研究室は自動車のトランスミッションや機械に入っている歯車の研究をやっていました。その研究の中でも重要な有力テーマは先輩たちに全部やられてしまっていて、「一年に一度データが取れるか取れないかの超長寿命の歯車の実験か、医療機器の設計をするかという選択を迫られました。「一年に一度しかデータが取れないなら卒業できないかもしれない」と思い、医療機器の設計にしたという経緯です。歯車の研究室で医療デバイスの研究をするという、普通ではない状況に強制的に置かれて、「まあやるしかない」といった感じです。能動的に選んだわけではないです。
大学
ここでもセレクションをかけられたんですね(笑)
鈴木 真介Suzuki Shinsuke

学際科学フロンティア研究所 助教。
筑波大学大学院システム情報工学研究科修了。博士(社会経済)。理化学研究所研究員、カリフォルニア工科大学博士研究員などを経て、2016年から現職。専門は神経科学。ヒトの意思決定メカニズムについて、機械学習や人工知能などの情報工学的アプローチと機能的脳イメージングを組み合わせた研究を行っている。

鈴木
僕は能動的に「変えるぞ」と言って変えたクチなんです。大学院の時は情報学をやっていたけど、その中でも経済学に使われるゲーム理論などの、数学をベースにしたシミュレーションをやっていました。学位を取って、その後どうするかを考えたときに、数学の世界で本当に将来に残る大定理を考えつく人なんてほんの一握りで、自分がこの先、20-30年頑張って考えてもちょっと難しいぞ、と。あとは研究テーマに「飽きた」ということもあって、学位は経済学ですけど、脳神経科学をちょっとやってみようかと。
大学
じゃあ対象を変えたということですか?
鈴木
数学を使って経済現象をモデリングするという研究をやっていたんですが、脳活動のモデリングや、人の行動のシミュレーションをやるというのはやってみたら楽しかったです。今になって思うと、数学という基礎があったからこそ、対象を変えるのは難しくなかったのだと思います。
大学
鈴木先生のような人は研究の世界で今、求められている人材ですよね。生命科学で実験をする人はたくさんいるけど、予測などは求められているが進んでいない分野です。
鈴木
ただ、専門を変えてから4年ぐらいはやっぱり論文が出なくて、しんどかった時期はありますね。
大学
しんどいですよね。いきなりだと。
鈴木
まあ、生命系だと4年という期間はめちゃくちゃ長いわけでもないですが。
大学
環境を変えたときは研究室も変えたんですか?
鈴木
ポスドクになるタイミングで、理研に基礎特研というフェローシップ制度がありまして、それに自分でアプライしました。結果は落ちたんですが、その過程でボスとディスカッションして、「その研究テーマなら来ればいいじゃないか」と言っていただいたんです。そこから理研に就職するまではスムーズでした。
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