田原先生の生い立ちについてお聞かせください。
田原
私は山口県長門市にある、湯本温泉という小さな温泉街で育ちました。『こだまでしょうか』『みんなちがってみんないい』などで知られる童謡詩人の金子みすゞの地元でもあります。山も海もある自然豊かな土地で、最近では元乃隅稲成神社や角島といった海沿いの風景が有名でしょうか。私の実家は海側ではなく山奥にあり、萩焼という焼き物をつくる窯元です。萩焼は一見地味ですが落ち着いた温かみのある色合いが特徴的で、茶道の世界では『一楽・二萩・三唐津』と言われ親しまれてきました。現在、父が十三代を襲名しています。
窯元に生まれて、焼き物を自分もつくっていこうという思いはなかったのでしょうか。先生はなぜ理系の道に進まれたのですか?
田原
特にこれといった理由はないのですが、兄の存在が大きかったのかもしれません。手先が器用で、よく私に竹とんぼなどおもちゃを作ってくれました。かたや私は、モノづくりに関心はあれど、兄に与えられるおもちゃを楽しんでいた、そんな幼少期でした。字も絵も工作も、もちろん作陶もうまく、その横で私は粘土で恐竜をつくって遊び、小学生くらいにつくった湯呑みの下手さで現実を知り(笑)、気付けばこの世界に飛び込んでいました。ただ全くネガティブな感情はなく、父も兄も、ずっと尊敬すべき存在です。
東京工業大学の第4類に進まれた理由はなんでしょうか。
田原
当時私は、与えられた環境で、与えられた課題をクリアしていくことに喜びを感じる人間でした。それは数学や物理の謎解きと相性がよく、中学1年の頃から地元の小さな学習塾に通って、そこで数学や物理の問題を解いているのがすごく楽しかった。6年間お世話になったのですが、この塾で当時、理系の最高峰の一つである東京工業大学の第4類を目指そうと提案され、必死で勉強して無事合格しました。
その、せっかく入った第4類から、転類されています。
田原
そうなんです。ちなみに東京工業大学は最近、体制が変わって、「類」ではなく、2016年から、日本で初めて学部と大学院を統一し、「学院」というものを創設しています。当時、私の入った第4類は機械系でしたが、類というのはざっくりとしていて、1年時修了後、2年時に専門のコースを決めます。私は2年時の2005年4月に当時の第3類工学部化学工学科(応用化学コース)に転類しました。第4類(機械系)から第3類(化学系)へ移ったということです。私は大学に入るのを目標にして勉強していたところがあり、実際にそれが叶って非常に満足感がありました。しかし、周りを見回すと、「この研究室でロケットの開発をしたい」「ここでしかできないロボット作りをしたい」ということを話す人がたくさんいたんです。そういった友人たちに刺激を受けて、「自分は本当は何がしたいんだろう」と、(恐らく人生で初めて真剣に)考えたときに、漠然とですが環境問題に関心があるなと思い至りました。高校から興味のあった初等量子力学が、高校までは物理、大学だと化学(物理化学)に分類されることもあり、化学系への転類を決意しました。転類する前も後も苦労しましたが、どちらの類でも、応援してくれた友人には感謝しています。
転類後、恩師との出会いがあったとのことですが。
田原
はい。学部4年から、有機金属化学をご専門とされる、現東京工業大学名誉教授の鈴木寛治先生の研究室に所属しました。この鈴木先生との出会いは今の私の原点とも言えます。鈴木先生は第一線で活躍される研究者でありながら、教育者であり、人格者でありました。鈴木先生から受けた指導、そして、一緒に過ごした6年間は実に素晴らしいものでした。繰り返しになりますが、私は与えられたハードルを越えていくことに夢中になる人間でした。しかし、鈴木先生は自分で開発した独自の分子で、自分で課題設定をして、どうそれに取り組んでいくか自分で決め、できなくて当然のことをできるようにする、という姿勢なんです。その姿がすごく楽しそうでした。いわば、無から有を生み出す。私にはすごく新鮮でした。その先生の下で、自分で言うのもおかしな話ですが、かなり主体的に6年間、研究に取り組みました。そして、進路選択の際に、自分は何になりたいのか改めて考え、鈴木先生のように学者、研究者になりたいと決心しました。
鈴木先生とは今でもやり取りされているんですか。
田原
しています。コロナで難しくなってはいますが、東京への出張の都度ご挨拶していますし、先生ご自身も焼き物が好きで、今も父や兄の展示会が東京であるときなどは、毎回顔を出してくれています。私がFRISに着任した際もすごく喜んで「いい環境が与えられたのだから、頑張りなさい。今からが勝負だ」と励ましの言葉をかけてくださいました。先生は今も国内の研究所の顧問をしており、化学への思いは未だ熱いものがあります。
その鈴木先生の下で、田原先生が取り組まれてきた有機金属化学という学問がどういったものかご紹介ください。
田原
有機金属化学とは、その名の通り、有機金属化合物を取り扱う学問のことです。「有機金属化合物」、聞き馴染みのない単語だと思います。生体内で合成されるような炭素化合物は有機物、一方、鉱物などの金属は無機物、その一見相容れないような物質同士が結合したもの、具体的には金属と炭素が結合した化合物を有機金属化合物と呼びます。古くには、有機物と金属は結合することができないと考えられていましたが、200年くらい前に遷移金属-炭素結合を持つ分子が発見されて以来、有機金属化学という学問が発展しました。遷移金属と炭素とでは原子周りに保持することのできる電子の最大数が異なりますので、その特殊な結合様式を理解するために多くの基礎研究がなされました。その過程で、有機金属化合物は、有機物だけでは困難な分子変換を容易に実現することが判明してきました。分子変換とは、例えば炭素の鎖をつないだり短くしたり、炭素に酸素をくっつけて水に溶けるようにしたり、といった変化を指します。この分野は日本人研究者が数多く活躍しており、有機金属化学の分野からノーベル化学賞が受賞されたこともご存じかと思います(2001年:不斉水素化、2010年:クロスカップリング等)。これ以外にも有機金属化合物は材料科学、生命科学などさまざまな分野に応用されつつありますが、私はこの有機金属化学の力を使って、通常は分子変換ができないような、化学的に安定なもの、例えば二酸化炭素だったり、石油や石炭、メタンガスだったり、そういったものを有用な化学物質に変換できないか、といった研究に取り組んでいます。
改めて田原先生の東京工業大学院入学以降のご経歴を教えてください。
田原
2008年4月に、東京工業大学大学院理工学研究科応用化学専攻に入学し、2011、2012年度には日本学術振興会(JSPS)の特別研究員になりました。2012年は化学メーカーであるBASFのインターン参加のためドイツへ渡っています。そして、そのまま修士、博士と過ごし2013年3月に博士課程を修了。同年4月からは九州大学先導物質化学研究所の助教に着任。その後、2016年にはNanyang Technological University(シンガポール)への留学も経験しました。2021年に現職である、東北大学学際科学フロンティア研究所(FRIS)の助教となりました。また同タイミングから、JSPSの卓越研究員を兼任しています。
この間、先生はずっと同様の研究を進められてきたわけですか。
田原
有機金属化学という共通点を持ったまま、いくつかの研究課題を渡り歩いています。整理をすると、東京工業大学では金属に結合したまま有機分子を変換させる、いわば金属が主役の基礎研究(錯体化学)をずっとしていたのですが、九州大学に移ってからは、金属の力を借りて有機反応をスムーズに進める、いわば有機物が主役の応用研究(触媒化学)にシフトした形になります。その過程で、計算科学や化学工学といった、異なる分野の視点を吸収しながら研究をしてきました。東京工業大学では有機物の分子変換が得意なレアメタル、これが複数集まったクラスターという分子を使って、強い還元力で石油の原料などに含まれる炭化水素の炭素と炭素の結合を切ったり、くっつけたりしていました。私はルテニウムという遷移金属が3つ集まった三角形の分子を用いていました。その際の金属と炭素の結合様式は非常に特殊で、その分子変換の機構を詳細に突き詰めていました。
この時に合成する分子は非常に不安定なため、空気に触れずに化合物を取り扱う実験技術を習得しました。かなり学術的な研究です。一方、九州大学では「元素戦略」という考え方に基づき、白金やパラジウムといった埋蔵量の限られるレアメタルを用いないとできない有機物の分子変換反応を、鉄といったありふれた金属(ベースメタル)で代替する、という反応開発に取り組みました。レアメタルは文字通り流通量が少ないですし、手にするのに高価であれば、地球資源・市場価格の両観点から好ましい現状とは言えません。対して、鉄はふんだんにある。これを使えば地球にも優しく、商品も安価に抑えられます。しかし、わざわざ量の少ないレアメタルが重宝されるのには理由があって、還元力の違い、平たく言えば錆びにくいといった特性があり、これらが有機物の還元反応には適しています。鉄はご存じの通り錆びやすく、還元反応には不向きとされます。でも錆びるのは鉄が悪いわけではないですよね。鉄元素の魅力、能力を100%発揮させるためにはどうすればよいか。当時所属していた研究室の先生方と議論しながら、空気に触れさせず、また還元力を高めた分子設計を行うことで、鉄による還元反応や付加反応の開発に成功しました。
これらは皆さんの身の回りにあるシリコーン樹脂の開発にも応用されるなど、かなり工業的な側面を持つ研究成果と言えます。この他にも、有機金属化合物のデザインによって、有機分子の変換に必要なレアメタルの使用量を1,000,000分の1にまで減らすことにも成功しています。九州大学ではまた、計算科学的なアプローチにも取り組み始めました。鉄は磁性を帯びているため一部の分光学的な分析が使えないことがあり、計算科学によって、見えない分子構造の理解に努めました。同研究所の計算科学をご専門とされる先生方にご指導を頂きながら、「理論と実験の融合による課題解決」という研究手法を確立することができました。
余談になりますが、東京工業大学時代は高度な実験技術や独特の経験を頼りに、とにかく「自分でなければできない」科学を生み出すことを至高としていましたが、九州大学時代は、どこで、誰がやっても再現できる「誰にでもできる」科学を生むことの価値、意義を知り、両極端な二つの視点を育む良い経験になりました。
ここまでは有機金属化学をキーワードに、基礎と応用、実験と理論という位置づけで研究を進めてきましたが、一つ大きな出会いがありました。上記研究と並行して、当時所属していた九州大学先導物質化学研究所の所内若手連携の一環として、化学工学をご専門とする工藤真二先生(九州大学准教授)との共同研究を経験する機会を得ました。これまで培った、有機分子およびそれらと結合した鉄化合物を取り扱うノウハウを活かして、錯体化学的アプローチによる製鉄システムの開発に携わりました。その際に、多くの「専門分野間の文化の違い」を目の当たりにし、一気に視野が広がりました。例えば、有機化学・有機金属化学では分子が溶媒に溶けた「均一系反応」は、一般に200°C以下の世界で、180°Cは超高温に分類されます。しかし、1,000°Cオーバーが一般的な製鉄プロセスを取り扱う化学工学の分野では「500°C以下は低温反応」で、全く捉え方が違います。実に大きなカルチャーショックでした。
また、均一系では難しいダイナミックな有機分子の変換反応も、300°C付近ではどんどん進行します。有機化学で学ぶ反応の選択性や、原子が持つプラス性やマイナス性といった電子状態の差も、全て乗り越えていきました。一方で、創薬につながるような繊細な反応は難しく、精密有機合成的アプローチは当該分野では限定的でした。私はこの共同研究経験から、精密有機合成とダイナミックな化学工学の分野横断には、多くの可能性があるのでは、と考えるようになりました。そして、持ち前の「理論と実験の融合」という課題との向き合い方、そして、実際の技術を介して、化学工学分野に隠された「炭素資源の高機能化・循環化」という課題解決へ向かうことになるのです。それはすなわち今のFRISでの研究テーマへとつながっています。
有機化学・有機金属化学的アプローチによって、
新しい形の炭素循環社会を実現する。
先生の現在の研究テーマをご紹介ください。
田原
私は化学資源としての価値創出・機能付与が困難と認識されてきた炭素資源について、有機化学・有機金属化学的アプローチによって高機能化し、分子シミュレーション等を駆使しながら、新しい形での炭素循環社会を実現するということを目標として研究しています。研究対象は大きく分けて三つに分類されますが、その全てに共通するキーワードが炭素資源となります。第一に天然ガス、石油、石炭に含まれる単純炭化水素類、第二に二酸化炭素、そして、第三にバイオマス化合物です。いずれも現状では基礎研究寄りではありますが、中でもより社会実装を指向できているのが二酸化炭素の分子変換です。これはやはり、共同研究をした工藤先生の影響が大きいですね。
二酸化炭素の資源化は現在産学問わず盛んに研究されていますが、私は目的生成物としてさほど注目されていない、シュウ酸という分子を二酸化炭素から作ろうとしています。二酸化炭素って「酸素・炭素・酸素(O=C=O)」という分子の形をしていますよね。酸素が電子をたくさん持っているので真ん中の炭素はプラス性があります。でも、私たちがつくろうとしているシュウ酸はプラス性がある炭素と炭素同士をくっつける必要があり、それはかなり難しい反応なんです。有機反応ではまず敬遠されます。二酸化炭素をくっつけるときはマイナス性の所にくっつけるのが常識だからです。でも、難しいからこそ、したい。これまでに、二酸化炭素の還元体を用いて従来法よりも安全で効率的にシュウ酸合成する手法を見出しています。これは有機反応の技術だと難しいんですけれども、化学工学のノウハウを生かして、200°Cより高い温度で反応させることでシュウ酸合成を達成しています。現在は有機金属化学的アプローチによって、二酸化炭素からの直截的なシュウ酸合成に取り組んでいます。
シュウ酸が注目されないもう一つの理由として社会需要が挙げられます。シュウ酸は一般に鉱物の冶金や染色等に用いられますが、人体への毒性などの側面も強く市場規模はそこまで大きくありません。「じゃあ何のためにシュウ酸をつくるの?」と思われるかもしれませんが、私は合成したシュウ酸を用いて、工藤先生の掲げる、シュウ酸を介した次世代の製鉄システムの実現に貢献したいと考えています。現行の製鉄プロセスにおいて還元剤として用いられるコークスをシュウ酸で代替した際、その反応温度や得られる鉄の品質が大幅に改良されることが共同研究から明らかとなりました。この時に消費されるシュウ酸は二酸化炭素へと分解されますが、もしシュウ酸へ再生できれば、炭素循環型の新たな製鉄サイクルが実現します。産業界における二酸化炭素の排出はおよそ3割が製鉄によるものと言われていますから、社会実装が進めば与えるインパクトは本当に大きいものになります。
工藤先生が化学工学をご専門とされているので、系全体のトータルのエネルギー収支を考慮する視点を持てたことは大きな強みと言えます。例えば電気化学的手法を用いれば二酸化炭素からシュウ酸を合成することは可能ですが、つくる際のエネルギーコストが妥当かを計算する必要があります。逆に200~300°C前後の反応熱が要求されても、それ以上の製鉄由来の熱源が転用できるため、プラントとして成立させることができるのです。二酸化炭素排出量に加え、市場価格や安全性といった視点も今後必要になるでしょう。
先生のご研究で、一つ製鉄における炭素循環が実に身近になってきているわけですね。
田原
はい。更に、研究開始当初は想定していなかったのですが、このシュウ酸というキーワード、海外では石油に代わる次世代のフィードストックになり得ると注目が集まり始めており、市場の活性化に先駆けてその合成研究に着手できた点も喜ばしく思います。残り二つの研究課題は昨年度の着任後に開始したテーマでまだ基礎研究の段階ですが、この1年で非常にいい成果が得られています。在任中にインパクトフルな論文を発表できるのではと自分でも期待して研究に取り組んでいます。
先生の研究によってもたらされるであろう炭素循環の価値の大きさがよく分かりました。ところで田原先生にとって研究とはどんなものですか。
田原
・・・社会の役に立つ、社会実装を目指す、という話をずっとしておきながら何ですが(笑)、私は、研究は芸術のようなもの、ある種の自己表現のようなものだと捉えています。論文一つをとっても書いた人の顔が見えます。こういうアプローチは〇〇先生らしいな、というのがよく分かる。また、研究をしていると感覚的に美しいと感じるシーンが数多くあります。例えば、有機金属化合物の三次元構造が単結晶X線解析によって可視化されたとき、私はそこに美しさを感じました。そして、研究はやはり父や兄が突き進む陶芸の道とも通じるところがあると思います。私自身はまだ、研究者としてフラフラしている部分がありますが(笑)、鈴木先生の研究や、父の作品のように、いつか田原淳士の顔が見えると言われる論文を出したい。もっと言えば、「田原の化学」を確立したいということになります。それが大きな目標ですね。
立ち話がエキサイティングです。
気付き、気付かされ、新しいものが生まれる、
その瞬間。
先生とFRISの出会いはどういうものですか。
田原
自分を客観視したときに、自分は領域の狭間に示唆を感じる人間なんだな、と思うんです。もともと有機と無機の混ざったところ、実験と理論の混ざったところ、精密有機合成とダイナミックな化学工学の混ざったところ、などなどに魅力を覚えてきました。そして、この今いる学際科学フロンティア研究所(FRIS)は研究所の名前に「学際」が付き、異分野融合に大きな価値を見ている。存在を知ったときはハッとして、自分にぴったりだと思い、応募させていただきました。自分の場合はさらに、JSPS卓越研究員としての採用も兼ねた応募枠だったので、それも合わせて魅力でした。本事業では若手教員の独立した研究環境の整備を支援するもので、研究費および研究環境という面で国および大学、そしてFRISから多大な支援をいただくことで、今お話しした、私のやりたい研究を主宰することが叶っています。当然ながら、これは大学や研究所、それに周りの先生方の理解や応援なくして実現しませんので、支えてくださる皆さまには感謝してもしきれません。
実際、FRISに来てみて、ここはやっぱり素晴らしいなどと感じられている部分はありますか。
田原
自分の専門分野外の人と意見交換をして、気付き、気付かされ、新しいものが生まれる瞬間が本当に価値ある瞬間です。特にそれはオンサイトで、なんてことない業務外の研究討論をする瞬間に最も生まれやすい。オンラインミーティングだと必要最低限の交流だけして終了、となりますが、やはりオンサイトだと違います。顔と顔を突き合わせることの意義は大きいですね。FRISの先生方は本当にいろんなことにアンテナを張っておられて、昨年度は新型コロナウイルス感染症の影響で数回しかできませんでしたが、オンサイトでの研究発表終了後、立ち話をした際に会話が多元的な拡がりを見せて身震いしたのを覚えています。その経験を私は昨冬に初めてしたのですが、本当にそれはFRISに来て心底良かったなと思うところです。
「あなたの研究は私の分野から見るとこういう風に見えるよ」という違った視座からの意見、良い意味で価値が転換する瞬間というものは実に得難く、貴重です。お互い指摘し合い、そして、掛け合わせて、こんなことができたらいいね、という話につながります。さらに、できたらいいねで終わらず、じゃあやりましょうと、すぐ動き出すフットワークの軽さは痛快です。加えて、その“やりましょう”となった話にFRISの早瀬敏幸所長は、「そういう声があるならばFRISとして応援しましょう」と言ってくださって、どんどん実現していくんです。そうやって実際に若手教員の構想が結実していくのはFRISならではだと思います。今年度はFRIS Hub Meeting(FRISが開催する、月例の講演会)等の現地開催がこれまでより多くなりそうですので、もっと新たな融合、取り組みが増えてくると確信しています。飲み会まで開けたらもっと良いのですが(笑)。
先生はどういう研究だとFRISでメリットを得やすいと考えられますか。
田原
全ての研究分野にメリットのある研究所だと思います。自分の研究姿勢、考え方がいかに専門的”すぎる”かを見直すことになり、また、多くの人に理解し、楽しんでいただけるためにはどう講演すべきか、ということに思い至らせられますから。視野の広がりを経験できることはまず請け合います。
ご自身がFRISだからこそ取り組めた具体的な出来事を教えてください。
田原
まだ2年目に突入したばかりですし、共同研究としての結実はないのですが、FRISに所属されている先生の中では、同じ有機金属化学・錯体化学を取り扱う先生とよく研究討論させていただいています。また、分野は違うのですが、同じ金属を取り扱っていたということで、私から、同じFRIS所属の先生にある提案をさせていただいたこともあります。それは今後、所内連携へと発展すればと期待しています。話はちょっとずれますが、また、同じくFRIS同期の先生の、共同研究相手が、私の中学時代の同級生だったなんてこともあって世間は狭いな、と驚きました。少し強引ですが、これもFRISが、実にさまざまな研究を行う多様な人材を採用していることの証左かもしれません。
先生は将来、どういった研究者でありたいとお考えですか。
田原
鈴木先生も父も、元々の専門分野に自身の興味やさまざまな経験を反映させながら、独自の世界を確立していった人です。私も有機金属化学という分野に縛られず、多様な視点から科学の世界を見渡し、その上で「田原の化学」が確立できればと思います。自分が楽しむことで、他の研究者や学生に研究そのものの楽しさが伝わるような、そんな研究者になりたいですね。
FRISがますます発展していく上で何か必要だと感じられるものはありますか。
田原
異分野融合は今後、日本のみならず世界的なキーワードとなることは明白です。ですから、FRISが旗印としている「学際」的であること、「異分野融合」というものを突き詰め、自らが内包する独自のシステムをさらに強健なものとしていくことで、よりFRISの存在価値は高まっていくと思います。その上での話になりますが、私は、日本の大学が海外の大学に見習うべき「常識」が数多く存在すると感じています。その見習うべき常識やシステムをFRISが先駆けて導入することで、今後の国立大学の在り方に一石を投じられるはずです。より独自性の強い研究所として展開できるよう、私自身も一助となるよう努めたいと思います。
(2022年5月インタビュー実施)