北海道大学薬学部では、アルツハイマー病の治療を目指す研究をされていたと伺っています。
千葉
何か人の役に立つ研究がしたいという思いがまずあって、人の役に立つ研究としてアルツハイマー病の研究を選んだんです。北海道大学薬学部の鈴木利治先生の研究室に入りました。薬学的アプローチで病気を治すことにトライしたかったんですね。その後、だんだん興味の方向が変わってきて、今は直接、薬の開発につながることをしているわけではなく、もうちょっと基礎的な研究をするようになりました。
アルツハイマー病の研究では、どんなことが印象に残っていますか。
千葉
アルツハイマー病の原因になるアミロイドの、前駆体タンパク質がどういう機能を有しているか確認しようというので、可視化できるよう蛍光タンパク質をつけて細胞の中に入れてみました。すると、ヒョコヒョコ、ピュンピュン、動いている様が見えたんです。それは既に業界では知られていることではあったのですが、アミロイド前駆体タンパク質というのは、細胞内をそのように輸送されるタンパク質だったんです。それを実際に自分の目で見てみると、すごく面白みを覚えました。どうやって動いているんだろう、と不思議に思うのと同時に、すごくかわいく、親しみを覚えました(笑)。そして、このことが研究の路線変更にもつながっていきます。細胞内でモノが動く仕組みのほうに関心が移ったのです。モノを動かすための、動力源のタンパク質は何か、動くメカニズムがどうなっているのか、端から端へ行って帰ってという動作をどうやって行っているのか、そういうのを調べたいと思いました。特に車の役割をするタンパク質に魅力を感じ、もっと解析してみたいという気持ちが後の留学に繋がりました。ちなみに、アミロイド前駆体タンパク質が2種類の酵素によってチョキン、チョキンと切断されるとアミロイドが出てきます。不安定化し、ぐちゃぐちゃと凝集するんです。そして、それが脳の中にたまり、アルツハイマー病のきっかけとなります。アミロイド前駆体タンパク質自体は何も悪さはしません。
そもそも、千葉先生はなぜ、研究者を志されたのでしょうか。
千葉
実は大学院まで学生の立場として研究をしていて、私自身がこれだ、という手応えを得られた研究がなかったんですよ(笑)。それは、言い方が適当か分かりませんが、研究テーマ、内容によって当たり外れというのはやはりあるもので、また、私が良いアイデアを出せなかったのも理由の一つだと思います。同級生など、周りに聞いてみると、研究をしていて、「『おっ、これはすごい!』みたいな体験を何回かはしたね」って大体言うんです。これはこういう働きをすると思っていたのに、やってみたら全然違う働きが出てきた!とか。対して、私にそういう経験はない。要は消化不良で学生時代が終わってしまったんです。先ほどのアミロイド前駆体タンパク質の動きを見て面白いと感じた、といったようなことはいくつかありましたが、何かを発見するという経験を持てませんでした。それが自分が研究を続けるエンジンになったのだと思います。自分も発見体験をしたいと。そうして、今に至っています。
それで、博士課程終了後、カリフォルニア大学デービス校のRichard McKenney研究室で博士研究員になられたわけですね。
千葉
私のやりたい研究をしている研究者を探して、何人かにコンタクトを取ったところ、来ていいよと言ってくれたのが、Richard McKenney研究室でした。それで、2017年から約4年間行っていたのですが、振り返ってみると環境に慣れるまでにだいぶ時間を使っちゃったなという感覚はあります(笑)。英語や大学の習慣に慣れるのに2年間くらいはかかりました。それでも、後半の2年は研究に集中できて、より充実した時を過ごせました。後半に入ると、自分の中から、これやってみたい、あれやってみたいというのが湧き出てきて、それを抱えて日本に帰ってきたという感じです。
アメリカにはどのくらいの期間いる、というのは決められていたんですか。
千葉
特に決めていませんでした。2年で帰ってこようと考えたときもありましたし、ビザを更新して長いスパンでやってみようと思ったときもありました。留学中に『やりたいことリスト』を作っていて、これをやってみたい、あれとあれを比較してみたいとか、あまり深い考えのないリストですが、それがたくさんたまっていきました(笑)。留学先のボスからは、新しいことを始めるのも良いけど、まずは今やっていることを終わらせてね、と言われていて、それももっともな話なので、まずは最初にやっていた仕事を終わらせることにフォーカスしました。自分のやりたいことは時間が出来たらやろう、と。そうして、『やりたいことリスト』の項目は増え、最終的には10個くらいになっていました。
その『やりたいことリスト』というのは、全て歩くタンパク質についてです。歩くタンパク質というのはモータータンパク質と言われており、細胞内で物質を運ぶ車の役割をするタンパク質です。先ほどお話したアミロイド前駆体タンパク質も、モータータンパク質によって運ばれています。細胞の内から外に向かうもの、外から内に戻ってくるもの、筋肉の収縮に働くものなど、さまざまです。細胞の内から外に向かうものだけでも、50種類くらいはあります。また、モータータンパク質には、モノを運ぶための荷台のようなものもあるのですが、その荷台の役割を果たす部分にもかなりバリエーションがあって、出来上がる「車」は本当に細かく違うんです。だからこそ、これとこれを組み合わせたら、動きが変わるのでは、などと考えるわけです。
このモータータンパク質の特徴の一つが、病気を引き起こすということです。モータータンパク質に1つアミノ酸の変異が入るだけで、病気になるんです。その変異が見つかってきたのは割と最近のことで、変異が入ると実際にモータータンパク質に何が起こるのか、というのはまだあまり知られていません。例えば、モータータンパク質の足の部分に変異が入ったら、動けなくなるのかなと予想はつきますよね。細胞内輸送もおかしくなる。では、モータータンパク質の胴体の部分だったら、影響はないだろうと普通考えますよね。でも、実際は胴体部分に変異が入ることで病気になっている患者さんがいます。なぜそこに変異が入ることで病気になるのか、症状からだけでは全然分かりません。対して、私のような実験系の研究者だと、そのような変異体タンパク質をつくって調べることで、病気のメカニズムを明らかにしていくことができます。
先生が具体的に進められている研究について少し詳しくご紹介ください。
千葉
いくつか現在進行系でやっていますが一つは筋萎縮性側索硬化症(ALS)に関連することです。このALSはたいてい、何の遺伝要因もなく罹患するのですが、遺伝的要因でかかる患者さん、家族性ALSとよばれるものですが、そのような患者さんも全体の5%くらいいらっしゃいます。この家族性のケースで最近分かった面白い事実があります。それは、いくつかの家系で、モータータンパク質の一つであるキネシンの手の部分に変異が入っていることが分かったのです。手に変異があるわけですから、私たち研究者は荷物を持てなくなっているのだろうと推定していました。でも、実際に私が実験したところ、荷物の認識、結合はちゃんとできていました。では、何が起きているのか。手と手がくっつきやすくなっていて、いっぱい手をつないでいるような状態だったのです。キネシンが5個、10個と集まって凝集体を形成し、おそらくその凝集体の仕業で細胞が死んでいたわけです。
その場合、つないだ手を解ければ治癒につながっていくのでしょうか。
千葉
そうだと思います。ALSにはキネシン以外にもさまざまな遺伝子が原因遺伝子として知られていますが、多くのケースで細胞の中に凝集体が出来てしまいます。それが解ければいいと思うんですけど、そういった薬がまだありません。ただ、このように凝集体形成の様子はどんどん分かってきているわけですから、薬の開発は確実に一歩前に進みます。いつかALSの治療薬が生まれる日を目指して実験をしています。
キネシンというのは普段、自分で自分にブレーキをかけているんです。というのは、自分の手で自分の足をつかまえていて、動かないんですね。モノ、荷物が来た時だけ手は荷物をつかみ、結果、足が自由になるから動き出す。これってすごくいいシステムですよね(笑)。でも、ALSの変異が入ると何が起こるかというと、先ほど話した通り、手と手をつないじゃうわけで、そうすると足がずっと自由になって、キネシンの動きは過剰になる。実際、顕微鏡で見てみるとズダダダダダダーという感じで凝集したキネシンの塊が走り回っていました。そうやって走ることで仲間を増やして、大きな凝集体を作り、毒性を高めているのかもしれません。
一方の、家族性ではないALSについては何か明確になってきたことはあるのでしょうか。
千葉
残念ながらまだないのが実情で、キネシンが何か鍵を握っているのか、握っていないのか、明らかになるのもこれからです。もしキネシンの変異がない患者さんの細胞にも、キネシンの凝集体があったら、変異とは関係なくキネシンの凝集が病気に関わっているということが分かります。そして、病気を引き起こしている原因はもちろんキネシンだけではないと思います。タンパク質には、一歩間違えると凝集体を形成するようなギリギリの状態にあるものが沢山あります。変異が入っているわけではなく、それがもともとの性質なんです。そういうタンパク質が、何かをきっかけに一気に凝集するのではないかと。人間の細胞にはストレスがかかっています。たとえば、酸化ストレスという言葉をどこかで聞いたことがあるかもしれません。そのような様々なストレスが細胞に蓄積することで、いろんなものが凝集を引き起こす方向に傾く。それが病気の引き金になるのではと考えています。
実験は十中八九失敗に終わるのが当たり前、
良い意味で予想を裏切られるのが楽しい。
先生にとって研究の魅力とは何ですか。
千葉
実験は十中八九失敗に終わるのですが、たまにうまくいくことがあります。今日も駄目だろうなと思ってやっていたのにスルッとうまくいくわけです。その瞬間がいつ来るかはもちろん分かりません。こちらは毎回、あの手この手を尽くしてうまくいくよう準備しているわけですが、そういった形の良い意味で期待を裏切られる瞬間が面白いですね。予想外のことが出てくるのが楽しい(笑)。そして、この期待を裏切られることの最上位が先ほど話した、「おっ、これはすごい!」という体験なんだと思います。ただ、私はまだ、それこそ私の期待値が高いだけかもしれませんが、これは大発見!と感じられた経験がないので、本当にぜひ一度味わいたいですね。
千葉先生はお聞きしていると、”見える”ことを大事になさっている。
千葉
目で見える、というのは確かに好きです(笑)。大学院のとき、目で見られないような実験系を使っていて、結論を歯切れよく言えない、もどかしさがあったんですよ。それで、どうにかして、”これはこうだ”って、はっきり言える実験系が欲しいと思って、留学先はそういうラボを選びました。本当に一目瞭然っていいですよね。納得もされやすい(笑)。それから、私はシンプルな問いにシンプルな答えを出す。これをずっと続けていきたいんです。研究って難しいイメージを多くの方が持たれていると思うんです。そうじゃなくて、疑問が浮かんだ順にどんどん解いていく。あんまり深いことを初めから考える必要はないのかなと私は思っています。何かやって、その先どうなるかというのはやってみなければ誰にも分からないですから(笑)。
私のやっている実験はそれこそすごくシンプルで誰にでもできるようなものです。でも、世界で誰も実験していなくて、それこそ見た人がいないタンパク質がまだ沢山ある。これって、やるだけで価値があるということですよね。そうしたことを繰り返しやっていくとどんどん新しいことが分かってきます。あまり難しいことは考えません。ただ、ときどき立ち止まって見てみると、案外私と同じことをしている人はいないよなーって思いますね(笑)。
FRISは若手研究者に対して、
モラトリアムを許してくれる機関です。
FRISの存在はどんな形でお知りになられましたか。
千葉
大学院時代に東北大学の先生と共同研究をしていまして、何回か当時、東北大学に来たことがあったんです。そのときにFRISというのがあるというのを聞き、留学帰りの先生が多いという情報もいただきました。その先生からは、留学から帰ってくるときはFRISに応募することを考えてみたら、とアドバイスもいただいたんです。ですから、アメリカにいるときもずっと頭の片隅にはあって、”帰国するときはFRISに行きたいな”って漠然とですが思っていました。それで、日本へ戻るとなったときに具体的に調べたら、FRISの条件が自分の求めている条件とちょうど合っていました。本当にこれは良い!と思って応募したという具合です。
採用を知らされたときのお気持ちはどうでしたか。
千葉
素直にうれしかったです。留学中の身分は結構不安定で、来年はどうなるんだろうという不安がいつもありましたが、FRISでは5年という決まった期間助教という立場で落ち着いて自分の研究に没頭できるわけです。それは本当に私にとってはのどから手が出るほどほしいものでした。この制度は日本だけでなく全世界でも相当まれだと思います。私はアメリカで博士研究員という立場で、毎日研究できていましたが、これが例えば、教授ともなれば、ゲストの応対だ、授業だ、学生のお世話だと今度は自分の研究に費やせる時間がすごく限られるようになります。FRISは研究以外の業務はほとんどありません。博士研究員のように自分のボスのテーマに縛られることもなければ、授業を持つこともない。特に、これをやってほしいというような形で仕事は回ってきません。中にはそれが物足りない方もいるのかもしれませんが、少なくとも私はそれがすごく居心地がいい。このFRISでのポジションというのは、博士研究員の延長期間、モラトリムみたいなものだなとも感じています。博士研究員を4年、5年とやれば、かなり技術も高まって、いわゆる脂が乗ってくるんです。大きな役職が付く前、体力もあり、技術も習熟してきたタイミングで研究に全集中できるのがFRISです。なので、私は今自分にとって一番いい時間の過ごし方をしているのだと思います(笑)。研究者はいったん学位をとってしまうと「教員」あるいは「研究員」という立場になります。実験・研究で忙しくなり、誰かに教える機会も増えていく一方で、なかなか自分が学ぶための時間は取れなくなります。FRISは若手研究者に落ち着いた研究環境だけではなく、もう一度自分を磨く時間を与えてくれる機関です。5年という期間は長いようで短いですが、この時間をしっかりとFRISメンバーと切磋琢磨しながら過ごしていきたいですね。
現状、FRISの中ではどんな交流をされていますか。
千葉
新型コロナウイルス感染症の流行もあって、思うように交流できない面もあるのですが、私は比較的恵まれた環境にいると思います。というのは、学際科学フロンティア研究所、つまりFRISの本体部分で私は日々の研究を行っているからです。そうすると研究所に出入りしているメンバーと毎日会えるので、たとえば研究費の申請書にアドバイスを貰ったり、機械の使い方を聞いたり、自分では行ったことのない研究機関や学会の動向などを聞いたり、そういったことが気軽に出来るんです。研究所にはだいたい常時10人くらいいて、10人もいれば、誰かが何かしら知っている。そうした知識をすぐに享受できるというのはやっぱり私にとって大きいです。『3人寄れば文殊の知恵』と言いますが、『10人いれば百人力』です(笑)。それから、毎年若手研究者を採用しているので活気があります。FRISには全体で50人前後の若手研究者がいて、私はこれほどの数の、同年代の研究者と交流したのは初めてです。それぞれの人の研究経歴を聞くだけで、とても刺激になります。来てみて思ったことですが、FRISにいる人たちのレベルは研究面でも知識・技術面でも非常に高いです。ノウハウがすごく充実しています。
ストレスなく過ごせているわけですね。
千葉
実に快適にさせてもらっています。ただ、任期が終わった後のことはもちろん、どこかの段階から考えなければなりません。
実際、任期終了後の身の振り方というのはいつ頃から考えようと思われていますか。
千葉
初めの3年間はまず、先のことは置いておいて、とにかく研究に集中しようと私は決めています。4年目、5年目でどういう道が見えてくるのか。あんまり焦っても仕方がないことですし、まずは目の前の研究を進めていこうと考えています。
これから、このFRISの中でこんなコラボレーションができるといいなと期待されていることはありますか。
千葉
一番やりたいと思っているのは、タンパク質以外のもので人工的にモータータンパク質を繋げてみることです。そういう技術を持っている研究者の方がFRISにいらっしゃるので一緒にやりたいなと。
それから、私は今のところ生物は扱っていないのですが、FRISでは生き物を扱う先生もたくさんいるので、生物でモータータンパク質の機能を確かめたいとも考えています。実際の細胞での機能を見るということと、私が目で見ているモータータンパク質の動きとを対比する。生物を扱っている先生と組むことで機能まで解明できるはずです。例えば、細胞分裂に重要なんだ、とか、いや、シナプス伝達に関わっているとか、そういうふうに実際の機能と結び付けられるといいなと思いますね。今、少し具体的になりつつあるのは、線虫の利用です。線虫というのは土の中にいる虫ですね。最近では、がんのにおいを嗅ぎ分けるということで、がん検査に用いられることでも知られています。この線虫は、基本的な機能は人間と似ているので、線虫を扱っている先生と組もうと動き出しました。そして、ここまでは何とかやりたいなと考えているのは、哺乳類細胞、線虫、ハエといったところでしょうか。
ちなみに、ハエはショウジョウバエを念頭に置いていますが、先ほどのALSの研究にも大いに有効だと思います。ショウジョウバエくらいになると、頭があり、背骨はないですけど、足もある。ALSは運動ニューロンに障害が起きるわけですが、ショウジョウバエを使うことで、キネシンの変異でどのような障害が起きるのかを見ることができます。
いろいろとアイデア、やりたいことがたくさんお有りの千葉先生ですが、FRISでの経験も踏まえ、将来的にどんな研究者になりたいとお考えですか。
千葉
まずは、本当に解析したいモータータンパク質が山ほどあるので、それを一つ一つやっていきます。全部やりつくしたら研究を辞めるかもしれないし、もっと面白い研究対象が見つかったら、モータータンパク質からそちらに転向するかもしれません(笑)。もし研究者を続けていくのであれば、若手をちゃんと育てられる研究者でありたいです。他の人を後押ししてあげられるようになりたいですね。
(2022年5月インタビュー実施)