東北大学
学際科学フロンティア研究所

FRIS Interviews #13

FRIS Interviews#13

  • 波田野 悠夏Yuka Hatano

    助教

    人間・社会

    研究分野

    自然人類学、法医学、解剖学

    主な研究テーマ

    ヒト顔面形態の3次元的解析と復顔への応用

    古人骨の歯冠形態分析による日本人のポピュレーションヒストリーの解明

波田野 悠夏

ワクワク感を持てるかどうかが
取り組む、取り組まないの判断基準です

解剖学に心奪われました。
歯科医師として得た知識、
技術を復顔に応用する。
デジタルデータを活用し解析する

日本歯科大学新潟生命歯学部を卒業されていますが、当初は歯科医師を目指されていたのでしょうか。

波田野

中学生の頃に歯科の矯正治療を受けた事がきっかけで、歯や顎骨に興味を持ち、歯科医師という職業が将来の選択肢の一つになりました。父の勧めもあり、自宅から通えて学費免除制度が充実していた日本歯科大学新潟生命歯学部に入学しました。医・歯系の大学は、学部2年の時に解剖学の授業があります。親族の葬儀以外で、初めてご遺体に対面した衝撃は鮮烈なものでした。ただ、不思議と「怖い」という感情は湧かず、実際に人体に接して勉強できる解剖学に心を奪われました。放課後には解剖学の研究室に出入りするようになり、長期休暇中に行われる解剖学セミナーにも参加していました。特にお世話になったのがネアンデルタール人など古い骨の研究を専門とする人類学者の奈良貴史先生でした。遺跡から発掘される古い骨は破片になっていることが多く、骨の形態を解析するためには、まず断片化した骨を完全な形に修復する作業が必要になります。私は奈良先生の元で学部3年生の頃から骨修復のアルバイトを始めました。ある日、子供の骨を修復していた時、通常乳歯には起こらないと言われていた、エナメル質減形成という歯の形成不全症があるのが私の目に止まりました。それを先生に伝えたところ、国内学会で研究発表をすることを勧められ、学部学生の立場であるにも関わらず、学会デビューを果たしました。これが私にとっての研究との出会いであり、いわゆるターニングポイントとなった出来事です。

5年生の時に病院での臨床実習が始まりました(※医・歯学部は6年制)。周囲は臨床医を目指して邁進している学生ばかりでした。一方私は不慮の事故に遭って休学を余儀なくされ、カリキュラムの関係で2年間臨床実習を行うことになりました。他の人の2倍の実習期間は、歯科医師となるための勉強にじっくり向き合うと同時に、九死に一生を得た経験から将来自分が本当にやりたいことを見つめ直す時期にもなったのです。多くの同窓生は臨床歯科医となりますが、私は、それまで学んだ歯科学を、古人骨を対象とする自然人類学に応用する研究の道へ進むほうが、マイノリティだけれども『私らしい生き方』が出来ると確信しました。

2016年3月に日本歯科大学新潟生命歯学部を卒業し、同年4月に東北大学病院の歯科臨床研修医になりました。東北大学は、学部生時代に研究指導をいただいた鈴木敏彦先生が歯科法医学の研究室を主宰しており、研修医としての勤務が終わった後に研究を続けられる状況にあったことが最大の決め手でした。

歯学部での教育は国家試験をターゲットとした職業教育的な側面が強く、他学部のように卒論・修論の研究を行い、学会発表を行ったり論文を執筆したりする機会はありません。また自然人類学は理学部やそれに続く大学院で専門教育を徹底的に受けた研究者が多いアカデミックフィールドであり、私のような医療系学部の出身者は研究のバックグラウンドとして大きなハンディを背負った状態からの出発となります。このような研究分野に進もうとする私にとって、学部生のうちから研究の機会を与えて頂いたことは貴重な機会でしたし、様々な大学の複数の教員から指導をいただける贅沢な時間でもありました。

研修医時代に奈良先生から、小林虎三郎の復顔依頼を受けました。小林虎三郎は、戊辰戦争の敗戦で困窮した越後長岡藩(現新潟県長岡市)に見舞いとして贈られた百俵の米を、食糧に充てて一時の飢えを凌ぐのではなく、長期的視野のもと売却した代金で国漢学校を作り、長岡の復興のため近代教育の基礎を築いた私の故郷の偉人です。2002年5月、当時の小泉純一郎首相が所信表明演説で「米百俵」の精神を引用したことでも知られています。教育の重要さを説いた小林虎三郎を、私は小学生の頃から尊敬していました。ちなみに私は国漢学校の流れをくむ長岡高校の出身で、更に小林虎三郎と誕生月日も同じです。まさか自分が彼の復顔に携わることになるとは思いもしませんでした。彼の頭の骨に対面した時に感じた興奮と縁の不思議さは忘れられません。

そうした縁の深い小林虎三郎さんの復顔を実際にご担当されていかがでしたか。

波田野

小林虎三郎の頭蓋は相貌に特徴があって、顎骨にはっきりとした左右差を認めました。彼は3歳ぐらいのときに右目を失明した記録が残っています。片側の視野が欠落した人間は、正面の物を見る時に顔を傾けて視野の補完を試みます。骨の発育時の特徴的な生活習慣は、左右どちらかに成長が偏ってしまうような顎骨の歪みの原因になります。もちろん遺伝的な影響など他の要因の可能性も考えられますが、失明が骨の形態に与えた影響は大きいと推測しています。このように文献に残された生前の記録と実際の人々の実際の身体の形とが結びついたり、逆に骨の形から生活の様相を推測していったりするのは古い人骨を研究する醍醐味でもあり、また文理融合の学際研究の本領が発揮される部分といえます。

復顔は、頭の骨の精密な複製模型を作り、その表面に筋肉や皮膚などの軟部組織に相当する部分の厚さを粘土で積み重ねていく方法を採ります。当時、復顔に必要な軟部組織厚の既存のデータは不十分で、顔貌の印象を決定づける上下の歯の咬合関係に注目したデータや、生体由来のデータはありませんでした。そこで、博士課程では医療用CTや3Dスキャナーから得られたデジタルデータを活用した生体の軟部組織の厚みの解析に取り組みました

越後長岡藩の藩主を務めてきた牧野家の復顔もされています。

波田野

牧野家の復顔も故郷の長岡と結びついた縁の一つで、私は女性の復顔を担当しています。江戸時代には、農民、庶民、武士、貴族といった階級ごとに、特徴的な顔貌の形態を有することが知られています。特に藩主、つまりお殿様など支配階級の人々に認められる形質を「貴族的特徴」といいます。初代は丸顔であっても、世代を経るごとに、極端に幅が狭い顔面になるなどの変化が起こります。日本の中世から現代に至る数百年間は、人類史全体の観点からは非常に短いタイムスパンです。この短い期間になぜ極端な骨形態の変化が起こったのか、これまで様々な検討が行われてきました。先行研究からは、藩主の正室となる女性が限られた家系から選択されたことや、極度に軟らかな食事を摂取していたことによる咀嚼器官の退縮が原因と考えられていますが、被葬者が明確で、高い身分に属する人骨の出土例が稀であることから、藩主及び親族関係を考慮した網羅的な人類学的研究はほとんどなく、検討の余地があります。このような中、長岡藩主牧野家は、4代から11代までの藩主と、8代および10代の正室の、保存状態がよいご遺骨が現存しています。更に現在の牧野家当主の方が、「貴族的特徴の変化を紐解き、学術の発展の一助になるなら」とご遺骨の調査を許可してくださっています。現在研究目的で直接触れることが可能な人骨資料で、長期にわたる貴族形質の変化の過程をたどれるのは、牧野家が唯一といってよいでしょう。

それから、平時もそうですが、東日本大震災関係の行方不明者や、平時の行方不明者の身元確認業務も行われています。

波田野

骨と歯は死後長期間たっても失われることはなく、様々な情報を具備します。法医人類学という分野では、遺骨から「この人は男性、大体50歳ぐらい、昔、ここにけがをしています。」といったように、遺骨の性別・年齢・生活史などを推測する鑑定を行います。私は平時の法医解剖に参加し、身元不明の方々について、歯の形態的特徴や生前の治療痕から身元確認を行っています。

東日本大震災発災当時では、多くの歯科医師が身元確認に従事したことが知られています。当時私自身は学生だったので、災害現場での身元確認経験はありませんが、今も1年に1度くらいは震災犠牲者と思われるご遺骨の身元確認に立ち会うことがあります。社会的責任が重い仕事ですが、全てのご遺体がご家族の元に帰れるように、震災を経験した東北大学に所属する歯科医として、責任をもって、法医学の先生や県警の担当者と仕事をしています。

研究の内容を説明する様子
研究のつまみ食いするのは
いかがなものか、
という意見もあると思いますが、
今は許されているので、
興味と感性のアンテナを大きく広げて
研究しています。

あらためて現在のご自身の研究内容を教えてください。

波田野

複数のテーマを並行して行っています。軸としているのは、骨から生前の顔貌を復元する復顔になります。どのように私達の顔の形は変化していったのか、また過去の人々がどのような姿だったのかを理解する術として、自然人類学の分野で活用されています。今までの復顔の研究で使われていたデータの大部分はご遺体(献体)から採取されたものでしたが、より正確な復顔を行うために、現代の人々のCT情報を集めたり、顔の形態を3Dスキャナーで撮影したり、顔の形態に影響を与える噛み合わせの情報なども考慮しながら、詳細な軟部組織の厚みを計測して復顔に使えるデータを集める、というのが私の仕事になります。将来的にはAIで復顔を自動化したいと考えています。

『研究』という営みが持つ魅力をどうお考えですか。

波田野

一見関係のなさそうな異種の分野を横断し、一つの事象の理解に結びつけていく過程はエキサイティングなものです。同位体分析で出土遺物の正確な年代測定が可能になりました。古人骨から得られた全ゲノム解析で過去の人々の遺伝情報も明らかになりつつあります。考古学の専門家から提供された骨とともに出土した遺物や、遺構の情報は、昔の人を甦らせ、立ち上がって歩く姿の再現にも役立ちます。様々な関連領域の情報と人骨の形態解析を統合し、過去に生きていた人々の姿や生活史に迫っていくのは胸躍る研究プロセスです。

ご自身の研究の醍醐味はどう捉えられていますか。

波田野

ヒトの顔貌形成には皮膚の裏側にある筋肉の働きが大きく作用しています。そして筋肉は骨を支点として動くことで機能を発揮し、また長期間の筋の使用は骨の形態に影響を与えてきます。つまり正確な顔の把握には頭蓋の骨を正確に理解することが不可欠です。顔の研究そのものは様々な領域でなされていますが、多くは皮膚の表面の形だけを捉えたものです。実物の頭蓋を手に取って研究してきた私には、骨そのものの形と向かい合えるという大きな強みがあります。加えて、歯や口腔の形態を食物の入り口として捉え、歯科医学的な知見を適用して問題点を抽出し、デジタルデータとして解析を進められたことも、『私らしい』研究の形と考えています。研究室で頭の骨と向かい合っている私の姿は、傍から見れば異様に思えるかも知れませんが(笑)、小学校や中学校で習ったような昔の人々の姿を私が甦らせているんだと思うと時間の経つのも忘れて研究に没頭してしまいます。

これからどのようにご自身の研究が社会に役立っていくと想定されていますか。

波田野

不慮の災害で白骨化した犠牲者の特定に役立てることができます。現在、DNAでもある程度の復顔は可能で、アメリカでは実際に犯罪捜査の場面で役立てられていますが、生前の生活習慣による変化はDNAから読み取ることはできません。私は形態学的な視点で、顔貌を復元できるような技術を作っていきたいです。

加えて、考古学への応用もなされています。一般の方が理解しづらいDNA解析の結果などを分かりやすく提示できる、アウトリーチの手法としても優れています。古人骨を得るためには発掘作業が必要で、地元の方々や自治体の協力が不可欠です。地元の方々に研究成果を還元することは非常に重要になります。3Dスキャナーなどを利用して、形態学的な知見を集めることで、より正確な復顔を行うことが可能になります。

研究に加えて、現存する資料をデジタルデータとして残しておくことも非常に重要だと考え、率先して行うようにしています。自然人類学の分野では資料の所在が分かっていても、アクセスが難しい、というケースがままあります。今後のことを考えれば、デジタル化した資料に、誰でもアクセスできるのが一番だと思います。もちろん、その資料における権利の問題など、クリアしなければいけない課題は沢山あります。アクセシビリティが高いと当然、他の研究者や研究とのコラボレーションもしやすくなり、成果も大きく上がるはずです。先程述べた越後長岡藩藩主牧野家の事例もその一つです。牧野家の人々のご遺骨は、1983年の墓域の発掘調査の際に良好な状態で残っていることが確認されました。その後「50年後は科学技術が進歩しているだろうから」と、当時発掘を担当した研究者と牧野家のご当主双方の未来を見据えた先見的英断により、情報が失われないように保存処置を施して再埋葬されました。数十年の時を経た現在、当時の担当研究者の教え子に当たる私の恩師が遺志を継いで再調査を行い、更に私がデジタルデータの処理と復顔を担当するという、過去から今につながる物語があります。私も含めた国内の研究者のコラボレーションによって歴代藩主の復顔が行われ、さらにデジタル化されて、今後は骨の破損を恐れることなく研究を進めることが可能になりました。

これから、ますますAIなどは進歩していきますし、情報の扱いはとても慎重に行う必要がありますが、デジタル化を推進しておくことは重要だと思います。最初は研究のためであっても、巡り巡って社会に役に立っていくと考えています。日本の遺産を守ることにもつながりますから。それはFRISに入ってから考えてきたことでもあります。

自身が考える研究の定義とは。

波田野

興味のあることは何でも首を突っ込んでみる、ということです。一つのことを突き詰めていきますが、タコ壺の奥底にうずくまるのではなく、知識の境界線を外に向かって押し広げていくのが私の研究スタイルです。「やらない後悔よりやる後悔」という諺がありますが、今の私は一つのことを突き詰めようとしつつも、好奇心に負け、私が全くの素人である分野の研究テーマにも並行してチャレンジしているという状態です。でも、私にとってはそれが研究であり、広がった境界線がいつか融合してより大きなフレームとなることを信じています。
そもそも人類学は、「人」を様々な角度から理解しようとする、学際的な学問です。古くから、医学・歯学や生物学といった学問の枠組みを超え、様々な研究者が一堂に会して知恵を寄せ合う土壌が出来上がっています。FRISが推し進める学際研究・異分野融合研究は人類学と非常に親和性の高いものだと考えています。

研究室でインタビューに答える様子
すぐコラボレーションできることが
FRISの最も面白いところです。

FRISとの出合いを教えてください。

波田野

FRISをはっきりと意識したのは2018年に東北大学学際高等研究教育院生に採用されてからです。学際高等研究教育院は、セミナーやワークショップ定期的に開催しており、そこでFRISの先生方と交流がありました。FRISでは自由な裁量をもって研究でき、横のつながりが持てるということを聞いていました。教育院のセミナーでも、普段交流のない同年代の学生の発表を聞くことが刺激的だったので、似たような環境に身をおけるFRISは魅力的でした。実際に領域を跨いだコラボレーションが起こっているのを目の当たりにし、博士課程を無事修了したら、FRISで研究を続けたいと思い応募しました。

ただ、応募をしておきながらですが、FRISで採用していただけるとは思っていませんでした。日本学術振興会特別研究員(PD)や、海外の大学での研究経験があるとか、世界をリードする輝かしい業績がある研究者が応募するポストだと伺っていたので、博士課程を修了したばかりの、業績もまだあまりない自分が採用されたことには驚きました。掴んだチャンスを無駄にせず成果をださないといけないと、毎日身が引き締まる思いです。

波田野先生が感じられているFRIS特有の特徴、魅力は何ですか。

波田野

FRISの魅力をもっとも感じる瞬間は、自分の技術が全く違う分野に応用できたときです。自分が行き詰まったときにアイデアをもらえるのもうれしいですが、全く知らない分野の研究に自分が関わり、協力することはエキサイティングな経験です。具体的には、先月、FRISでロケット燃料の研究をされている齋藤勇士先生から「燃焼前後の燃料の形態を比較したい」という相談をされて、それに私は「大きさを考えると医療用CTを使うのがいいと思います」と答えました。法医解剖では、死因の見逃し防止や、より効率的に死因究明を行うために、事前にCT撮影を行ってから解剖するんです。通常はロケット燃料の研究者がCT機器にアクセスする手段はないと思います。私は博士課程のときに、3D解析に取り組んでいたので、CTで得られた画像から立体構築像を作成して体積や面積を計測したり、どこに亀裂などの変化があるのかといったことを調べたりすることができます。

齋藤先生に打診を頂いてから数週間で、資料の撮影を行い、私が解析する段階まで来ています。話を頂いてスムーズに撮影・解析が行えたのは、同じFRISで知り合いだったことが大きいと思います。現在進行形で、まさに学際的なことが起きていることを実感しています。

燃料のCT撮影だけで十分な新規性があるわけではないですし、自分の研究が何か大きな成果を生むのはまだまだ先かもしれませんが、面白い結果が出るだろうという予感はあります。そして今、この時期にいろいろな先生とつながりを持つことは将来に大きく生きると感じています。私は今、様々な分野に首を突っ込んでいるわけですが、そこでつながりをもてた先生たちとチームになって、大きな研究テーマにチャレンジしたいと思っています。いろんな知見、アプローチを持ち寄ることで研究も劇的に進むでしょうし、何よりも楽しいと思います。

FRISにどんな利点を感じていますか。

波田野

例えば、大学病院に所属する先生たちは、臨床もしているので、なかなか長期出張は難しいですよね。それに対して、FRISが主所属である私は比較的自由に行動できる立場で、メンターの鈴木敏彦先生も快く長期出張に送り出してくれます。最近では、昔からの知り合いの研究者の縁で、沖縄県宮古島で行われる発掘調査に参加しています。そこでは琉球大学島嶼地域科学研究所の専任講師である山極海嗣という先生に出会いました。山極先生は考古学がご専門で先史時代の貝斧という、切る/掘る道具の研究をなさっています。貝斧には大きい物も小さい物もあって、形も年代によって変わります。貝斧に残された痕跡から用途や使用方法を復元・比較の解析方法について相談されたので、歯科診療で使用されるシリコーンゴム印象材を活用する方法を提案しました。細部再現性に優れる印象材を利用して試料の表面レプリカを作成し、走査型顕微鏡(SEM)で微細な構造の変化や亀裂などを観察する研究は歯科で珍しくありません。貝斧にこの手法を適用させて予備実験を行い、良好な結果が得られています。

結局、既にある技術や情報、知識が広く共有されれば、飛躍的に進む研究はたくさんあるはずです。『餅は餅屋』と言いますが、その餅屋にとって当たり前のことを餅屋以外の人はあまり知りません。そうしたことに意識的であることがどれだけ有益であるかを、FRISに来てから更に強く感じるようになりました。また、その意識だけではなくて、私たちには、人と人をつなぐことや、相談を受け、与えられた情報から適切なアイデアを出せるための自分の引き出しの多さが求められてきます。

ご自身の将来として思い描く研究者像は。

波田野

業績やインパクトファクターなどの数値指標をある程度気にしつつも、好奇心や興味にブレーキをかけたくはありません。将来学生を受け入れる立場になった際には、学生の興味を否定せず一緒に研究テーマを追い求められるような研究者でありたいです。その一方で、自分にそれを受け止められる度量や技術、研究室運営のための資金調達や環境整備などマネジメント能力も必要です。研究室運営のための膨大な業務量を効率良くこなせるだけの時間の有効利用も意識しながら日々研究活動に励みたいです。

また、私は女性研究者として、出産をどう考えるかなど、女性ならではの懸案事項を抱えざるを得ません。現段階では、具体的に考えが固まっているわけではありません。結婚すること自体が当たり前ではないですし、パートナーを得ても子供を出産するかどうかは個人の価値観やタイミングによります。多様化している現代では以前に比べると自由な決断ができるようになりましたが、それでも迷ってしまう人もいるかと思います。子育てを全部自力でとなると心身の限界を迎えるのは、火を見るよりも明らかです。職場や周囲の理解を得ながら、ベビーシッターや公的サービスをうまく活用するというのが現実的な解決策になると考えます。一方、周囲には思うような研究活動ができず、辞めることを検討している先輩も実際にはいます。研究がつらくなるのはやはり良くありません。私自身、研究者として生き残れる戦略を練りながら、楽しさも忘れないようにやっていきたいです。私は、後輩にとって研究の楽しさを伝えられるようなロールモデルになりたいという思いはあります。

トライした先に未来は見えてくるものです。まずは行動し、よい成果が出ればそのまま進み、上手くいかなかった場合は「どうして失敗したのか」を振り返りながら気持ちを切り替え、前に進んで行きたいと思っています。

2020年の日本人類学会で受賞した若手会員大会発表賞はご自身にとってどんな意味がありますか。

波田野

復顔をテーマとした発表で受賞したのですが、感無量でした。初めて若手賞に応募したのは学部学生の21歳の時でした。学会発表自体に慣れず、緊張して上手く質問に答えられず落ち込みもしましたが、好意的な意見もいただいたことがきっかけになり、その後ほぼ毎年のように人類学会大会で発表を続けました。人類学専攻の研究室がある東京大学と京都大学の学生発表のレベルは高く、歯学部の学生だった自分は、「専攻で学んでいる学生よりも研究者として適性がないのかな。」と悩みながら発表していたので、受賞が分かった際は驚きで全身の力が抜けました。受賞までに10年間かかったわけですが、学位研究の集大成にとして良い記念にもなりました。

2020年はFRIS所属ではなかったわけですが、間接的にであれ、受賞にFRISの影響はありますか。

波田野

大いにあります。学際高等研究教育院生時代に受けた支援内容はとても充実していました。自身の裁量で自由に使用できる研究費は、資料調査など研究の幅を拡げます。毎月行われていた交流会ヘの参加は研究内容を伝える「伝達力」を鍛える良い機会になりました。大学院生は、自分から動かなければ、隣接する研究室の研究内容を知る機会すらないものです。講義もありません。ましてや、異分野領域の話を聞くことや、逆に異分野の人に自身の研究を説明する機会は、皆無と言っていいでしょう。第一線で活躍する研究者や他領域の優秀な学生のプレゼンを定期的に聴講できた交流会は、デザインから話し方まで勉強になることばかりでした。最初にどういう言葉を使うと聴衆の心を引き付けられるかを意識し、今でもインパクトのあるデザインやキャッチーなフレーズを意識して準備しています。

FRISは今後どういうふうに発展していくとお考えですか。

波田野

まず、異分野の研究者が同僚となる環境が何よりの財産だと思います。新型コロナウイルス感染症の影響で、採用後1年後にようやく同期の先生と顔合わせができたくらいですが、1度の顔合わせをきっかけに同期の研究者からロケット燃料で相談を受け、異分野の研究に関われたという事実があります。2022年のこの春、FRISから転出された先生が多くおられましたが、5年間の任期の間で、毎年何人かはそうして「卒業」していきます。そして、OG、OBの方が、選んだ新たな地で仲間を増やしていくことで、FRISを介したネットワークが広がっています。

私からすれば、外にたくさんFRISの先輩がいるというのは大変心強いです。例えば、研究室にはない実験装置の使用を検討する際、高いハードルに直面することもありますが、FRISに在籍していた人を通しストレスなく利用ができるということもあるでしょう。いずれにしても、そのFRISによって育まれた輪が、大学間、さらには国を跨いで、もっと大きなプロジェクトを生んでいくはずです。そうした循環が際限なく連鎖していくことがFRISの発展だと考えます。

(2022年5月インタビュー実施)

PAGE TOP